高岡は、慶長14年(1609年)、加賀藩二代藩主前田利長公によって開かれ、平成21年(2009年)に開町400年という記念すべき年を迎えます。(※)
城下町として、商業の町として、風格を備えた高岡の礎は、前田利長・利常両公によって築かれました。おかげさまで高岡は、藩政時代から、さらに明治・大正・昭和・平成という激動の時代を越えて発展を遂げてきました。
今、開町400年という大きな節目を迎えるにあたり、私たちは、両公の功績・業績を顕彰するとともに、先人の英知と努力に感謝しながら、今日の繁栄を祝い、高岡のさらなる飛躍を目指して力強い歩みを始めなければなりません。
そのため平成21年を「高岡開町400年」一色に染めあげ、新たなまちの発展を期して、開町400年記念事業を行うものです。
※慶長14年(1609)の春、前田利長公は隠居していた富山城を火災で失った。利長公は一旦魚津城に避難するが、すぐに幕府に使者を送り新たな隠居城を当時関野と呼ばれていた高岡の地で建てることを伺い出る。これが許されると、ただちに高岡での城普請に着手し、加越能三州から集められた人足によって急ピッチで工事が進められることとなった。突貫工事の結果、同年9月13日には、完成間もない高岡城に利長公は総勢570人の家臣などをひきつれて魚津城から移り住んでいる。ただ、当時の高岡城がどのようなものであったかを示す資料は乏しく、実態はよくわかっていない。
併せて町立ても行われ、高岡という地名は、このとき、関町の総持寺22世快雄和尚が撰じた詩経の一節「鳳凰鳴矣、于彼高岡」に因んで命名されたとされている。